明日をどこまで計算できるか? ディヴィッド・オレル

明日をどこまで計算できるか?――「予測する科学」の歴史と可能性

明日をどこまで計算できるか?――「予測する科学」の歴史と可能性

目次

過去 第1章 不法な運命の矢弾−予測の始まり
第2章 光あれ−ティコ・ブラーエとモデル構築者たち
第3章 分割統治アプローチ−決定論的科学主義
現在 第4章 「夕焼けは船乗りの喜び」−天気を予測する
第5章 遺伝子の中に−病気を予測する
第6章 上げ相場と下げ相場−経済を予測する
未来 第7章 全体像−気候と健康と富の関係
第8章 振り出しに戻る−私たちはどこで道を誤ったか
第9章 水晶玉へのお伺い−2100 年の世界



未来、このやっかいなものをどう予測するか?

というのが本書のテーマ。




一言で感想を言えば「なんだ、がっかり。まぁ、でもそんなもんか」。


最新科学でここまで未来は予測できます!

っていうノリを期待すると肩透かしをくらう。というか自分はくらった。


複雑系、モデル、カオス理論。

ご大層な理屈をこねてみても、どうしても未来予測には限界がある。



実験室のような条件の設定が簡単で、各種パラメーターの変化も測定可能な環境なら予測は簡単。
ニュートン物理学なんかがこれ。

だが、現実はそうはいかない。
正と負のフィードバックが入り乱れる複雑な系だからである。

だもんで、未来予測は困難を極める。

例えば、バタフライ効果として有名な初期値のわずかなズレが時間が経つにつれて大きな変化を生むというのは本当で、この性質をカオスという。

だが、これだけが原因で未来予測が外れるわけではない。



予測者の主観が入ったり、様々な要因が複雑にからみ合って、とてもじゃないが天気予報が外れる要因は列挙しきれない。



だから、明日を正確に知るには「明日になるまで待つ」しかない。

予測なんてほとんど出来やしない。経済も医療も天候も、「未来」においてどうなるかはほとんど予測不可能だ。

ある程度正確な予測が可能なのはパラメータ数が限られていて、カオスの影響が少ないものに限られる。
例・明日の天気。

ただし、少しでもパラメータやらフィードバック数、カオスの影響が増えるともうだめ。

例・一週間後の天気。


未来はなかなか手に負えない、やっかいなものらしい。

でも、わからないほうが面白い気もする。