瀬名秀明ロボット学論集

瀬名秀明ロボット学論集

瀬名秀明ロボット学論集

まえがき

第I部 ロボットは未来のかけら 二〇〇二年〜二〇〇四年

第1章 SFとロボティクス
 1 はじめに
 2 ロボット・イメージの変遷
 3 鉄腕アトムと日本のロボット観
 4 二一世紀のロボットSFは?

第2章 「ロボット学」の新たな世紀へ――アシモフ〈ロボット工学の三原則〉の受容と発展
 1 デビュー、そして三原則の誕生へ
 2 三原則の浸透、そして変化
 3 先端ロボティクスへ、書くことへ、そしてアシモフ自身へ
 4 ロボット学から人間学へ

第II部 「デカルトの密室」を解き明かせるか 二〇〇五年〜二〇〇六年

第3章 『デカルトの密室』特別講義
 1 機械は人間のように考えることができるのか
 2 臨機応変とは
 3 デカルトは心と身体の道徳の関係について考えた
 4 チューリング・テストとは何か
 5 二一世紀のロボット小説を書こう
 6 デカルトの誤りとは?
 7 デカルト小伝
 8 心と身体は別のものなのか?
 9 後期クイーン問題とデカルトの密室
 10 デネットの自由意志論
 11 青いピルと赤いピル
 12 世界観とAI研究
 13 小説の視点位置
 14 視点教育と道徳
 15 クラーク先生の倫理のルール
 16 自己の捉え方の違いが新しい科学を生む?
 17 鉄腕アトムとロボット三原則
 18 アシモフになりたいロボットたち
 19 ヒューマノイドの有用性は?
 20 自分で決めることと、社会との関係
 21 和辻哲郎の倫理学
 22 市川浩の〈身分け〉の構造
 23 社会性な時間はそんなに重要なのか
 24 サムとフロドの物語
 25 サムの原則=right rule
 26 「よい」と思い続けること

第4章 オリジナルとコピーのはざまで――ゴーストが宿る場所
 1 「イノセンス」より
 2 チューリング・テスト
 3 不気味の谷・タチコマ
 4 ゴースト
 5 記述し得ないもの
 6 ミステリー・同期
 7 四人称? Solid State Society
 8 引用・ウィトゲンシュタイン
 9 動物・人間・感情移入
 10 質疑応答

第5章 『デカルトの密室』/二一世紀本格/クイーン
 1 ロボット・ミステリ執筆のいきさつ
 2 『八月の博物館』と〈あやつり〉
 3 叙述トリックをめぐって
 4 クイーンにおけるユダヤ的なもの
 5 代作が孕んでいた可能性
 6 『ふたたび赤い悪夢』とスピノザ
 7 作家である根拠
 8 『物語』をどうとらえるか
 9 京極夏彦・森博嗣・貴志祐介
 10 瀬名流「セカイ系」論

第III部 ゴーストの信頼と勇気 二〇〇六年〜二〇〇七年

第6章 ためらい迷うロボット
 1 ロボット学のデザイン
 2 流れる意識
 3 ものづくりとしてのロボット
 4 なにげない凄さ
 5 看護、リハビリテーションとの接点
 6 ロボットから見える世界
 7 ミラー・ニューロンと人間
 8 歩行、人間、ロボット
 9 違和感と異和感
 10 ロボットの重力
 11 顔をどうするか
 12 不気味の谷
 13 開放型と閉鎖型
 14 他者性のデザイン
 15 記憶のタグ

第7章 〈境界知〉とVR
 1 はじめに
 2 違和感を持つということ
 3 テンプレートと違和感
 4 「不気味の谷」の正体とは
 5 ふつうとは何か?
 6 違和感を応用する
 7 違和感への適応
 8 「信頼」の力
 9 「心は燃えていたではないか」
 10 共感と感情移入
 11 タルコフスキーとレムの違和感に対するスタンスの違い
 12 人間らしく生きるために不可欠なふたつの視点
 13 科学と物語が一回性の人生にできること
 14 最後に

第8章 「未来からの声」が聞こえるか?
 課題1 科学者は作家になりうるのか
 課題2 いかに進歩を考え、いかに正統であるか
 課題3 SFの「希望」を、どのようにとらえるのか

第IV部 ロボット学創成

第9章 ロボット共存社会とヒューマニティ
 1 ロボット社会は必然か?
 2 人とロボットの未来社会を描く
 3 ロボットはイベント産業からヒューマニティ産業へ
 4 ロボット学の新たな実装
 5 社会とヒューマニティをデザインする

第V部 物語がヒトとロボットを超える 二〇〇八年

第10章 呼吸と生命と物語について──21世紀は科学が文学となるのか、文学が科学となるのか?
 1 一家に一台、マイロボットの夢
 2 民俗学者のロボット辻説法
 3 コミュニケーションの定義を誰も知らない
 4 生命と機械のあいだ
 5 “物体”と“物語”にいかに触れるか
 6 ロボットは物語ることができるか
 7 ロボットが呼吸するとき
 8 「ロボットに何をしてほしいですか?」


 日本語という言語は独特で、そこから新しいロボット学が生まれるのではないか? 
 
 というくだりが特に面白かった。


 
 英語ではキリスト教の影響が強いのか、会話において、神の視点というものが存在している。
 天上から、地上の人間を神様が見ているイメージである。
 

 2人で話している時も、日本人なら視点が自分の中にあるので「相手」しか認識しないが、神の視点だと視点が上にあるため、「私」と「相手」の2人を意識できる。


 複数の場合も上からの視点だと「私、彼、彼女」などとなる。

 
 が、日本ではこれはない。 

 なので英語のhe she,I などにあたる「彼、彼女、私」は日本語の話しことばで使わることはほとんどない。

 自分の目の前にいない相手を指す時に「彼はさ〜」などと限定的に使われるくらいだ。





 
 視点が違えば考え方も異なるので、日本人はロボットを一人の他者として扱う時に変わった見かたをするのではないか?

 日本独特のロボット学が生まれるのではないか?


 というようなくだりだ。

 

 実際どうなんだろうね。ドラえもんとか、外国からは生まれそうにないイメージは確かにあるけど。




 
【視点教育】【後期クイーン問題デカルトの密室】【日本語の視点からみた新しいロボット学のあり方】